where it all began ?

映画と生活

環境に流されるな

人は「自分が生まれるか」を選択できないように、家柄を選ぶ事はできない。

 

もしも、身の回りの環境を「自分で」選ぶことができるとするれば、高校生以降ぐらいだろうか。

 

例えば、ビルゲイツは裕福な家の子供だった。小さいときからパソコンに触れる環境があり、彼は高校生にして会社を立ち上げた。

 

また、東大生の親の半数の年収は900万を超えている。

また、管理職の親を持つ子供の方が、管理職になりやすい。

 

 

イメージしてほしい、

人生はベルトコンベアである。

 

工場には何本ものベルトコンベアが設置されている。

そして、そのベルトコンベアは繋がっている。たしかに繋がっている。

 

生まれた瞬間私たちは、そのベルトコンベアに落とされる。しかし、どこに落ちるかは選ぶ事ができない。

 

マコーレーカルキンは「良い」ベルトコンベアーに落とされた、しかし、途中で別のコンベアに移ったようだ。それは彼が選択したのか、そもそもそういう運命だったのかは誰にもわからない。

 

 

「人生は選択の連続である」シェークスピアの有名な言葉だ。

何かを選ぶ事は、何かを選ばないことであり、予言者ではない私たちはその選択によってどうなるのかを知る事はできない。

 

アメリカでは銃と交通事故で年間6万人以上が死亡する。

ビルゲイツがその6万人に入ってなかったのはラッキーだった。

もちろん、スラムに住む人たちと、高級住宅街に住む人たちが危険に遭遇する確率は異なるだろう。

 

だが、彼がその6万人に含まれる確率は0ではなかった。

 

 

 

ビルゲイツが生まれた1955年、時同じくして、生まれてすぐに養子に出された子供がいた。

アップルの創業者スティーブジョブズである。

ジョブズは裕福でない両親に育てられたが、後にマイクロソフトに並ぶ大企業を作り上げた。

 

 

私たちは環境を選ぶ事はできない。

しかし、『ケインとアベル』でアベルが成し遂げたように、環境を変える事もできる。

 

それは、また私たちの選択の結果である。

 

ケインとアベル (上) (新潮文庫)

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ケインとアベル 下 (新潮文庫 ア 5-4)

ケインとアベル 下 (新潮文庫 ア 5-4)